れですも色々

癌4 確定

物凄く痛かった最後の確定検査の結果が出る日が来た。

ここまでの数々の検査結果で一番大笑いしたのは「アルコールアレルギー」。

今でこそ殆ど呑まないが20代は大酒のみだった私。
ほんの少しの量でまっかっかにはなっていたし、そういう時には必ず全身赤くなってもいたけれど、酒で赤くなる人は皆どこもかしこも赤くなると思い込んでいたので気にもしていなかった。

相変わらず混みあっている待合コーナーと呼ばれてから待っている椅子。

先に入った人の半ば叫ぶような泣き声が聞こえてくる。
慰めているのはご主人と医師だろうか。

男性に支えられるようにして私よりちょっと年かさの女性が出てきた。

私の名前が呼ばれた。

今までとは違う医師。
ちょっと年配で温和な顔つき。

カルテを開きながら「子宮頸がんですね」と言い、私の顔をじっと見つめた。

よく小説などでは「頭が真っ白になった」とか「衝撃で何だかわからなくなった」というが、そんなことはなかった。

そうですか。診断書を書いていただけますか

と言った。
とにかく勤務先に伝えなければならないし、今後どうするか考えなければならない。

現時点では手術は1回もしくは2回。
いきなりの根治手術というのは私の場合はしないらしい。
まず円錐切除手術でどれくらい悪性なのかを確かめ、大した事がなければそれだけで様子を見る。
円錐切除でやはり根治手術が必要となれば子宮の全摘出になるらしい。

つまり一度は切ってみないと判らないということ。

いきなり全部取らないんですか?と聞いたが「そんな乱暴な事はしないよ」と笑われた。

後はベッドの空きを確かめながら最初の入院日をおおよそ決める。

診断が確定したのは4月15日。
入院日は5月11日に決まった。

その日出勤後会社の偉い人に報告。
やはり会社は1ヶ月は待てるがそれ以上は無理と言われる。

一度目の手術の結果は待ってくれるとは言ってくれたが。

会社よりももっと悩ましい問題もあった。

母親。

母は実は何年も精神安定剤のようなものを服用している。
どちらかというと依存が強く、思い込みも激しく精神的にも脆い。

どう言ったらいいのか。

この事では本当に悩んだ。
妹に電話して相談したり、母に嘘の電話(いい先生紹介してという人がいるんでかかっている先生教えて)をし、母の担当医に母の様子を聞いたりした。

妹への電話で私は母に嘘を言って入院しようかなと思っていると伝えたが、妹は「ちょっと考えさせて」と言い、3日後にかかってきた電話では「やっぱりお姉さんは本当のことを言った方がいい」と助言してくれた。

子を持つ母親としては万が一があった時、本当の事を知らされていなかったというのは一生傷つくよ・・・と。

確かにそうだ。

すっかり忘れていたが癌の手術に限らずどこにでも万が一はある。

母の担当医は「いや、大丈夫ですよ。」と言い「頑張ってね」とも言ってくれた。

今回の癌について一番食欲をなくし、夜も眠れなくなったのはやはり親に何と言うかだった。

散々親不孝をしてきた私だが親より先に死ぬつもりはない。
絶対に私の葬式なんぞは親に見せない。

診断書を持って母の所に出かけたのは入院の3日前だった。

いつになく引きつった顔をしている私に「どうしたの」と聞かれたのをきっかけに診断書を見せながら説明した。

黙って聞いていた母は「お腹空かないかい」と言い、車で近くの一軒家になっている喫茶店に連れて行ってくれた。

黙ってコーヒーを飲み、ケーキを食べて勘定をしてもらってさあ立ち上がるという時になって母は急に涙を流した。

泣いているというよりとめどなく涙を流している。

車に戻り、駅まで送ってくれたが、降りる時にどうもすみませんと言ったら
「謝ることじゃないでしょ」とまた泣いていた。


ここら辺の私の正直な感情は「なんでだよ」というどこに向けたらいいか判らない怒りもあった。
「何で私なんだよ」とも思ったし。

せっかく長く勤められそうないい職場を見つけ、頑張ってきたのに。

自分が一番不幸な気もしていた。

入院するまでは。

2003.9.6




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